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日本連絡会議ニュース

 

 

 

6月7日「原発いらない福島の女たち」のダイ・イン&座り込み


「福島を忘れたら、わたしたち(日本列島)は終り―わたしたち(福島)の怒り、悲しみ、苦しみ、この不幸、そして、絶望がわかりますか!?」

この日、3・11ショックの生と死の狭間で、胸が張り裂けんばかりの慟哭を体験した「原発いらない福島の女たち」は、首相官邸前で燃えたぎる怒りの炎を抱きながら数百人の人々と心をひとつにした。

官邸前から激励の拍手に見送られて、「福島の女たち」の代表13人は、「大飯原発の再稼働をしないでください」の要望書を携えて内閣府に向かった。その間、官邸の向かい側の歩道はオキュパイの自由トークひろばとなって、社民党の服部良一、福島みずほ党首、川田龍平(みんなの党)、上野千鶴子(社会学者)らの連帯アピール、そして、チェリストの野瀬正彦、加藤登紀子の路上ライブなどが、「福島の女たち」の終息なき心身の傷を癒し、さらなる連帯と団結が強く求められる新しい闘への幕開けとなった。

内閣府から戻ってきた代表たちの目は怒りとくやしさの涙に濡れていた。13人の一人ひとりのトークは、形式的に受理するだけの事務官の未曽有の過酷な原発事故に対する認識の希薄さに、福島の人びとが置かれている苦しみが何も理解されていないどころか、風化させようとしていることに、野田政権には「子どもの未来はまかせられない!」「一週間食べるもの、着るものもなかった。東電から一銭も貰っていない。誰も信用できない。同じ苦しみを大飯の人々にさせたくない。再稼働は絶対に反対だ!」と、新たな怒りが噴出した。

佐藤幸子さんは野田首相宛の「要望書」への返事を、黒田節子さんが電話でもよいからと求めた時の事務官の「(番号を)覚えていたらね」の言葉を糾弾した。子どもを守るために山形県に避難したが、心が壊れかけていた娘の「友達に会いたい」の一言に、福島市から川俣町の学校に再び通わせることにした悲痛な決断。子どもを守ってあげられないくやしさを滲ませながら、多くの福島の母親たちが声さえ発せられないでいる中で、なんのために大飯原発を再稼働するのか!福島の200万人の幸せを奪ったこの苦しみを二度と起こさせないでと訴えた。

司会を務めた椎名千恵子さんの話は衝撃的である。福島県警はマスクはしてはいけないと注意している。病院では「放射能」の言葉を発すると、看護婦が口に指を立ててシーッと禁じる。「本当のことは言ってはいけない、知ってはいけない」の抑圧と分断の下で、汚染されたふるさとでは、月2回の復興パレードに山車が出る。伊達城下町の染川町の鮎が多くすむ広瀬川で燈籠流しや、季節はずれの花火大会で2万発を仕掛ける復興利権構造が、夜店の並ぶ祭りに、マスクもしてない子どもたちを繰り出さして、生命を脅かしている。

「希望の行動」としてのダイ・インは、毎年続けられている8・6ヒロシマを引き継ぎながら、官邸前の歩道を思い思いの姿で横たわる数えきれない女性たちの姿で埋めつくした。

最後は参加者で‘抵抗の踊り’「かんしょ踊り」と、簡単なまとめで密度の濃い闘いは成功裏に終った。先頭に立った椎名千恵子さんのかんしょ踊りは、「世の中を変える」の決意が、文字通り天を突く勢いであった。

AWC首都圏幹事T.T)

6月7日「原発いらない福島の女たち」のダイ・イン&座り込み・その1

6月7日「原発いらない福島の女たち」のダイ・イン&座り込み・その2

6月7日「原発いらない福島の女たち」のダイ・イン&座り込み・その3

6月7日「原発いらない福島の女たち」のダイ・イン&座り込み・その4

6月7日「原発いらない福島の女たち」のダイ・イン&座り込み・その5

6月7日「原発いらない福島の女たち」のダイ・イン&座り込み・その6

6月7日「原発いらない福島の女たち」のダイ・イン&座り込み・その7

6月7日「原発いらない福島の女たち」のダイ・イン&座り込み・その8

6月7日「原発いらない福島の女たち」のダイ・イン&座り込み・その9

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