経産省前脱原発テントに対し、東京地裁が公示書を提出!原発推進の安倍政権からテントを防衛しよう!
経産省テントに対し、国による排除に向けた具体的な動きが始まりました。それに抗議する集会が3月22日に開かれ、テント前に約150が集まりましたので報告しておきます。
2011年9月11日、経産省正門横の敷地内に突如、「脱原発」の横断幕を掲げたテント村が出現してから1年半が経過しました。全国各地の脱原発運動の交流の拠点であり、政府の原発政策に異議申し立てを続けています。在特会など右翼団体の妨害がありながらも、今日までなんとか維持されてきた。
しかし原発維持の自民党・安倍政権となって、ここに来て突然、3月14日付で東京地裁執行官がテント関係者に「公示書」を出したのです。
それによると債権者の「国」は、債務者の淵上太郎さんらテントひろば代表に対し、占有の移転や名義変更を禁止しています。と同時に、裁判所がこの物件を保管中である、と。
ところが最後に奇妙な但し書きがあり、「ただし、債務者に限り、使用を許した」といったんは現実を容認。どういう意味か。
集会で長谷川直彦弁護士はこう説明しました。「これは債務者の固定化が狙いで、いろんな人に名義が変わってしまうのを阻止するため。この公示書単独では意味がない。近々、土地を明け渡せという訴訟が始まる」と。つまり、排除に向けた前段的な動きであるわけです。長谷川弁護士は、「原発という国策で国民が犠牲になった。人権がないがしろにされているのだから、抵抗権がある。私たちは弁護団を形成し、法廷で徹底的に争う」と鼻息を荒くしています。
集会の発言を聞いていると、テントは様々な人々の「思い」で支えられてきたのだということがわかります。
福島の女性たちが一言ずつ語っています。
「先日、核燃料プールが停電しました。ガソリンを満タンにしておきましたが、全身が緊張し胃が痛くなった。こんな日々がずっと続いているのです。私たちはこのテントで、心の平衡感覚を保ってこれた」
「原発から1・2キロの双葉町から東京に避難しています。何も持たず、知っている人が誰もいませんでした。このテントを訪れなかったら、立ち直れなかったかもしれない」
「田村市で農業をしています。私の友人は原木でシイタケ栽培を30年以上、続けていましたが、6万本の原木は今や核廃棄物になってしまった。おだやかな老後を過ごすはずだったのに」。
発言の合間には、制服向上委員会が歌「原発さえなければ」を、フォークシンガーの中川五郎氏は歌「大きな壁が崩れる」をそれぞれ歌って、場を盛り上げました。
弁護団のみなさんには裁判所でたたかってもらって、私たちはテントに応援し、政府・東電を徹底追及する運動をこれからも続けていかなければ、との思いを新たにしました。
蛇足となりますが、渕上太郎さんらの自宅には、仮処分の出た同日、経産省側から、これまでの土地使用料として約1100万円に上る請求書が届いたそうです。ふざけた話です。
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