福島原発事故のすべての被害者に正義を!10.16福島原発告訴団の報告集会&記者会見の報告
福島原発告訴団の武藤類子団長など3名が東京検察審査会に審査申し立て
10月16日、最強台風26号が吹き荒れる中、福島原発告訴団の武藤類子団長など3名が、東京検察審査会に不起訴処分にしたことを不服として審査申し立てを行った。今年9月9日、東京地検は「東日本大震災による巨大津波を具体的に予測できたとはいえず、事故後の対応にも過失はなかった」として、東電幹部や政府関係者ら33人を不起訴処分にした。
台風の影響のため貸切りバスで参加予定の福島県民の60名が上京できなくなり、11時30分からの送り出し集会は中止になったが、午後1時からは、予定通りに参議院会館講堂に於いて、「報告集会と記者会見」が10数社の報道関係者が詰め掛けるなか、質疑応答も活発に行われ、最後に【福島原発告訴団声明】が読み上げられて、午後2時30分に終了した。
武藤類子団長は「心を新たにしましてこの東京検察審査会に、検察の処分をもう一度きちんと審査してもらいたい」と、福島県民ら1万5千人近い告訴人を代表して要望した。
続いて河合弘之弁護士は「犯人を疑うところから強制捜査は始まるが、事故の収束作業を妨げかねないとか、起訴できると期待させてしまうとか言って強制捜査を全くしなかった。さらに、福島地検に出したのに、松本検事は東京地検に移送して、その1時間後に不起訴にした。『初めに不起訴ありき』で不当だ!」と、検察の捜査姿勢を厳しく批判した。被疑者6名については、「検察審査会(11人)の市民が判断するので、責任の所在が分かりやすいように申し立ての対象を東電の勝俣元会長や、原子力分野を担当していた当時の役員など旧経営陣に絞った。この闘いを通して強制起訴につなげていきたい。」と決意を述べた。
質疑応答にも明快に応じた海渡雄一弁護士は、2002年~2011年の本件事件までの9年間に、地震、津波の研究は進み、その科学的知見により被疑者らは想定された10メートルを超える津波を予見可能であった。2004年のスマトラ島沖地震、2007年の中越沖地震による柏崎刈羽原発被災では地下に水が入ってきた。東電は2008年の時点で15メートルの津波が襲う危険を想定していたが、武藤栄らは秘密にしていた。東電は2010年11月に保安院から津波対策の現状について説明をするように要請されていたが、報告は2011年3月7日、原発事故の4日前であった。そして、事故後5カ月半も報告を隠していた。保安院も科学的予見を知っていた。その間、東電は「津波は想定外」と言い続けたが、法的責任はとれる。津波は1万年~10万年に起こるとして、直ちには起こらないとする先送りの危険な東電の論理は重大で、この6人に対して起訴相当で法廷に立たせたいと意気込みを語った。さらに質問に対して国会事故調の報告は正しいが、刑事事件では地震は扱いにくいので、津波を焦点にして「業務上過失致死傷」に絞ったと応えた。
【声明】の中で、『処分決定当日に、事件を福島地検から東京地検に「移送」したことは、私たちが求めていた、多くの被害者がいる福島県での検察審査会で審理を受ける権利を奪う暴挙である。検察審査会への審査申し立てに当たり、私たちは改めて強く抗議する。』と言うように、不起訴処分の1時間前に「移送」した意図は何か。福島検察審査会の審査を回避するためではなかったのかの疑いは拭い切れない。福島地検は福島県民の天を突く慟哭に恐怖し、不起訴もできなかったのか。絶対に看過できない!『私たちは、原発事故に憤っているすべての東京都民に願いを託し、あらゆる行動を強化する』の福島原発告訴団に全力で応えていこうではないか!そして、『私たちは、どんな困難に見舞われても、未来に対する責任と勇気をもって、この新しい時代の扉を果敢に開く決意である。』の告訴団の【声明】を支持し連帯して、「起訴相当」か「不起訴不当」の議決を勝ち取り、検察のアリバイ的再捜査を許さず、強制起訴に勝利していかなくてはならない。一方、福島原発告訴団は汚染水漏出事件で、東京電力を福島県警察に対し、汚染水「公害罪法」(人の健康に係わる公害犯罪の処罰に関する法律)で告発したが受理された。告訴団の「汚染水漏出事件の告発人となり、事故の責任を問い続けましょう!」にも応えていこうではないか!
(文責 AWC首都圏幹事 高槻)
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