6.19経産省前テント裁判第一回控訴審の報告
6月19日(金)、テント裁判控訴審第一回が東京高裁102号法廷で、午後1時半から始まりました。この日は朝から雨にもかかわらず12時30分からの事前集会には何時もとかわらず大勢の人々が結集しました。淵上太郎さんは「原発いらない福島の女たち」を代表して初めて証人尋問に立つ亀屋幸子さんと黒田節子さんに、「福島について訴えてほしい」と、激励しました。
傍聴券確保に149名が並び、抽選で87名が入廷できました。2名の主尋問はそれぞれ70分で、国側代理人に10分程度の反対尋問が設定されていました。
亀屋さんは河合弁護士の質問に終始明瞭に答えながら、時には涙を流しながら、「地獄でした。同じ苦しみを誰にも二度とあわせたくありません。ですから再稼働は絶対にしないでください。そして、テントは私に希望をあたえてくれた心のふるさとなのですから!」と、まさに絶望して死の淵をさ迷った命の叫びが、高野伸裁判長を圧倒し、傍聴席の人々を泣かせました。
二人目の証人として大口弁護士の尋問に、黒田節子さんは女性テントを建てた過程を語りました。『足尾鉱毒事件の田中正造から学んで「女の押し出し」として、福島の女たちの怒りを「原発いらない福島の女たち」という名で運動を立ち上げた。女性テントを軸に「経産省」に対して、一人ひとりの抗議の叫びを届けてきた。福島は収束していない。福島の現状、悲惨さに向き合わない限り、真の復興などあり得ない』と、断言しました。そして、子どもたちの甲状腺癌の増加、さまざまな疾病など悪影響が出ていることに、チェルノブイリに学んで、子どもの保養、原発労働者への対応を行って欲しいと要望しました。
亀屋さんへの反対尋問に「淵上さんたちには頼りにしているが、第二テントを運営しているのは女たちです。」と、きっぱりこたえました。黒田さんも、「テントは淵上さん、正清さんの二人の力で成り立っていません。いいがかりです。二人には特別な権限もないし、報酬も貰っていません。テントは再稼働反対、原発いらない等々の、一人ひとりの個人の力で闘っているのです。」と、明確にこたえました。淵上さん、正清さんを被告にできないことが判りながらの軽薄な反対尋問に、傍聴席から嘲笑がわき起こりました。
17:30~「報告集会」(於:参議院議員会館講堂)での内藤光博(専修大学法学部教授・憲法学)さんのお話は、「テント裁判」を勝利に導くカギを秘めているのではないかと想えるほど鮮明な切り口でした。
【いわゆる「経産省前テントひろば」に関する憲法学的意見書――表現の自由と「エンキャンプメントの自由」】(2月19日、一審判決直前に東京地裁に意見書として提出されたものです。(九条改憲阻止の会 淵上太郎)から引用します。
《第五、結論》
『以上論じてきたところにより、以下のことが論証された。第一に、「エンキャンプメント(テントの設営および泊まり込み)」は、憲法21条一項が保障する表現の自由の一類型としての「集会の自由」の実行行為であり、かつ「経産省テント前ひろば」が行っている「エンキャンプメント」による意見表明活動は、原発事故により長期的避難を余儀なくされている被災者や放射能汚染に苦しむ福島の人々、そして反原発・脱原発を主張する一般市民が「人間に値する生存」を維持しようとするための「やむにやまれぬ行為」であることから、とりわけ強く表現の自由の保障を受けることである。第二に、「経産省前テントひろば」は、いわゆる「パブリック・フォーラム」にあたり、経産省の管理権よりも本件市民らの「集会の自由」の保障が優位されるべきことである。第三に、経産省による本件市民らに対する提訴は、訴訟による権利救済などの実質的な法的利益がないと考えられることから、「裁判を利用した言論抑制」、いわゆるスラップ訴訟であり、実質的な表現の自由への侵害行為である。以上』
●注1:「エンキャンプメント(Encampment)」とは、通常は「(とくに軍隊)の野営あるいは露営」としての意味に使「われるが、本稿では「テントにより作られた一時的な泊り込む(The temporary quarters,formed by tents)(The Oxford English Dictionary,Vol.(企),1969,p.142)の意味として使用する。
(AWC首都圏幹事:高槻民枝)
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